健康で長生き

コラム

最近若いときのようにがむしゃらに働くことがなくなった。

自分の歳のせいもあるし、そういう世相だ。

私たちが若い頃は「24時間働けますか、ビジネスマーン、ビジネスマーン」というCMに代表されるようなモーレツ時代だった。

ふと、最近ふりかえると長い間生きてきたなぁと思う。

子どもも大きくなった。

もうすでに片親は亡くなったし、元嫁さんとは別々の人生を歩み始めた。

そんななかで、今も昔も毎日を一生懸命生きるということは変わらない。

一言で言ってしまうとそんな感じになるけれども、ざっと振り返ってみよう。

コテコテの大阪の血が流れる両親のもと、長男として生まれた。
足が大きな赤ちゃんで、祖母がこの子はおおきゅうなるわ、と言ったそうである。
その通り、今は身長は180cmを超えている。

私が生まれたときはまだ勤めていた親父は、私がまだ1歳のころ独立。
お袋に言わせると、こんな赤ちゃんがおるのに、この人何考えてるんやろ、と思ったそうだ。
子どもの頃にこの話を初めて聞かされた当時、お袋が何を言っているのか子どもの私にはよく理解できなかった。

というのも、もうその頃は商売もある程度は軌道に乗って、まぁ、そこそこ好きなことをして暮らしていけるくらいにはなっていたから。
独立というのがイチかバチか人生をかけてするものだというのは、大人になってから知ることになるから、当時の私にはよく分からなかったのを記憶している。

当分の間、親父のまぁまぁの成功によって私はボンボンとして育ち、あまり世間は知らないけれど、夢だけはおっきい男に成長した。

小学生、中学生と好きな野球にあけくれ、高校進学には甲子園出場が狙える県外の学校に入れてもらった。甲子園には出られなかったが、名門野球部でそれなりの成績は残し満足して野球人生を終えた。

東京の私立大学に進学もさせてもらい、遊びほうけて留年。まぁ、本当に親にはお金を使わせたと思う。それでも、文句ひとつ言わず、卒業まで面倒をみてくれて、元嫁さんと結婚するときもほとんど親におんぶに抱っこ状態だった。

親の事業をついで、さらに大きくすることが私の夢であり、そのために日々勉強していた。ところが、社会人になって6年くらいたっ時に親父が急逝した。

兼ねてから親父の跡継ぎを早いことしないとあかんな、と思っていたので、私はほぼ即決で帰郷を決めた。
今の自分ならどうしただろうかと思うけれど、その時の自分はとにかく幼い頃からの夢であった事業家(といえばかっこええが実は自営業者)になることを選んだのである。

親父のまわりの人はいい人ばかりでいろいろと相談にも乗ってくれたし、手助けもしてくれた。
親代わりという言葉そのままに若い私の面倒をみてくれた方もいる。
本当にお世話になり、いま今日の私がある。

そんな人生の中で、思うことがある。それは、今までもそしてこれからも、人とのかかわりを大切にするということ。人は社会的動物である。決してひとりでは生きられない。

そしてももうひとつは人生を楽しむということ。
もちろんこれからも頑張る、毎日必死になって頑張る。
しかし、昔、家族を幸せにするためだと思い、家族を犠牲にして仕事をして、結果家族は崩壊した。

だから、ほどほどに。
家族を幸せにするためなのはわかる。でも、今しかできないこともある。

それをよく考えて生きていこう。

何よりも大切なこと、健康で長生き。幸せに長生きである。
最後はそういう人が勝つのだ。

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